最近

紙の日記に書こうとしても、ウェブ上に書こうとしても何もまとまらないくらい、最近の自分は混乱している。

いつも書いているうちに整理されてやるべきことが見えてくるけれど、今回は書き始めても何も整理されていかない。ただ、混乱していることだけがわかる。

 

やらなきゃいけないこと、やるべきこと、やりたいことが本当にごちゃごちゃになっていて、やらなきゃいけないことの筋の通し方もわからないし、やるべきことの本質が全く見えない。やりたいことだけ朧げにあるけれど、じゃあ実際やる元気や気力がある?と言われたら全く湧かなくて、結局家の中で時間だけやり過ごしている。

 

心が疲弊していくのをここ数ヶ月ひしひしと感じていたけれど、結局悪化させるだけさせてしまった。もう現実感すらおぼつかなくて、やらなきゃいけないことでもなんとなくふわふわこなすか、こなさずに無視することもあるくらい。なんで疲れたのかって、先が見えなかったからだと思ってて、でもそれは今も同じだ。二人で生活をしていくはずなのに、私は二人分の身のふりかたを考えている。夫は無責任な訳でも無関心なわけでもないけれど、考える力が壊滅的にない。考える力が壊滅的にないから、身体的な感覚や心の快不快に依って行動を決めてしまう。夫の決断と現実的な部分で折り合いをつけるための様々な試行錯誤に散々疲弊したし、少し前に比べれば事態は好転したようにも思えるけれど細々した後始末も残っているし、今後もまた疲れは溜まってしまうんだろう。悪気がない人に怒りを向けるのも、丁寧に疲れていることや傷ついていることを説明するのも疲れる。自分の人生の責任は自分で取ってほしい。なんでこんなに甘やかしているんだろう…とも思うけれど、負荷をかければ乗り越える方法を見つけられるものなのか、そもそもできないことなのかも分からない。できないことを求められるのもきついと思う。実際夫がメンタルにきちゃったのは、自分のキャパシティを超えた事態に陥ったからだとも思ってるし、できないことは求められないなとも思うから。

 

いろんなことを考えるのに疲れた。もうなんでもいいよ。生活が続く限り、この先もう少し事態が落ち着くまではもう疲弊しかしないんだろうと思うし。そんな中でもパートナーはいろんな「考えるべきこと」を振ってくるし。投げ出してしまいたい。なんか一旦投げ出してしまって、私も夫みたいに怒られたりやるべきことを簡潔に伝えられたり、今あるものの中で何ができるのかできないのか判断してもらいながら1ヶ月くらい生きたいよ。完全に役割を交換してほしい。

 

まあ、難しいだろうなあ。私が疲弊するくらい捌くのが今は特に難しいのに、初心者に難易度が高いものを丸投げするのも酷だと思うし。でも私もめちゃくちゃしんどい。私は自分のキャパを超えることを継続的にふっかけられたら人生ごと投げ出すことしか思いつかなくなるので、そうならないくらいに対処していけたらいいな。もうすでに、人生ごと投げ出しちゃいたいって思っちゃってるところもあるんだけど、そのほかにもいろんな方法があるんだと思えているうちに対処していきたい。

 

 

 

ストウブと生活

最近、ストウブでごはんを炊いている。

 

高校時代の部活の仲間たちから結婚祝いの品にといただいたものだ。結婚に際してお祝いは本当に本当に、ほんっとうに要らないからね、と事前に断っておいたにも関わらずサプライズで頂いたこの鍋は、送ってくれた当人たちの善意や祝意とは裏腹に、私にとっては重い枷となっていた。

長らく家族との縁に悩んできたので、結婚生活を何があっても続けていくつもりがそんなになかったし、結婚というプライベートな変化を公に祝われることについて羞恥的な気持ちを感じていた。

ストウブは手入れのしかたによっては永年的に使えるらしい。そして生活への馴染みがよく、頻繁に使う人も多いらしい。私は「これなら生活にも馴染みそう!」という善意と、置いてあるだけで感じる「結婚記念品としてのそれ」の圧とで悩み、結局一年ほど箱のまま放置してしまった。

 

一年ほど経ったら結婚を報告したり祝われたりするイベントも一段落ついて、なんだかんだ使うかあ、と重い腰を上げてストウブを引っ張りだしたけれど、なんだかんだ使うには重すぎた。鍋が。調理するのも洗うのも面倒すぎる。

 

ストウブを使うために試行錯誤した結果、私は凝った料理が好きな訳じゃなくて、外食よりもフットワークが軽い時に自炊を選びやすいんだなあと思った。そしてふと気付いた。「ストウブを使っておかずを作るのも面倒だけど、炊飯も同じくらいめんどくさいな」。

めんどくささとめんどくささを融合させたらマシになるかなくらいの軽い気持ちでストウブで炊飯したら、めんどくささよりおいしさが勝ったし、手入れも炊飯の行程も炊飯器よりも軽やかだった。ストウブ、すごい。すごい炊飯ができるやつだ。

こうしてストウブは無事(?)、炊飯器としての居場所を手にいれた。ストウブ、炊飯器じゃないけど。

 

相手との関係性の深さに関わらず、誰かにちゃんと選んで贈ってもらったものはちゃんと使いきりたいし、生活の中にちゃんと居場所を作ってあげたいと思っている。それは他の誰にも見えなくても、私はこの人(たち)との人間関係を大事に思っているぞっていう私なりの誠意だ。相手にそんな意図がなくても、私がそう思っているからそうしている。

 

私はあんまり交遊関係も広くないし、どちらかというと身軽な人間関係を作りがちだし、実家にしろ夫にしろ家族と贈り物をし合う習慣もない。それでも時折、何かしらをいただく。

その度に試行錯誤して、強引にでも生活に馴染ませていくんだろう。

 

ストウブは贈りものとしての性質も含め、馴染みが本当に難産だったなあ。それでもなんとか馴染んだし、きっとこれからも大丈夫だ。多分。

 

 

 

わたしの福祉、わたしのしあわせ

目標を手放してばかりの人生だ。

 

愛されたかった私の目標は、いつだって誰かのためのものだった。清く正しく美しく、非がない人間であれば愛されると信じていたから。

 

物心ついたときからわたしの目標は「真っ白な人間になる」ことだった。

今だから分かるけれど、私は他の誰も信じていなかったんだと思う。親がちゃんとしていない人間であることはなんとなく気付いていたし、その上で自分が求められるものが理不尽すぎることも認識していた。真っ白な人間になりたいと思い続けていたのは、ただ漠然と「だれよりも清く正しく美しくあれば、誰の目にも非がなければ、誰にも責められない」と思っていたからだった。母の基準もあてにならない、転勤族で地域に信頼できる人もいないし親族の縁も薄い私には、誰の目にも非のない自分を目指すことしかなかったんだと思う。

ずうっと「真っ白」を目指して生活していたけれど、私は当たり前だけど人間だった。真っ白になんてなれず、母にも到底愛されず、よく分からない基準で卑下され続けた私は疲弊し、その目標ごと16歳の時にいのちと一緒に投げ捨てた。それでもいのちだけはどこかに引っ掛かってしまったみたいで、病院のベッドで、「こんなに家族を苦しませて楽しいか」と詰られながら絶望した。

命を投げ捨てるような人間は真っ白にはなれないと思ったけれど、一度投げ捨てた命をもう一度大事にできるモチベーションもなかったので、「助けてくれた人のために生きる」を目標にした。病院にいる福祉関係の方、病院の看護師さん、学校の友達。ぼろぼろになった自分に価値なんて見いだせなかったけれど、「生きてほしい」と言われることが多かったので、ただそれを依り代にして生きていた。

そのうちに「家族とは離れて生活するべきだ」といろんな人から言われるようになって、家族と離れて生活するようになった。家族以外の人との新しい生活に慣れると、生きることそれ自体を目標にしなくてよくなった。二十歳を過ぎて初めて、「自分はどうい生きたいのか」を考えるようになった。

「真っ白」を目指すということは、自分の個性や、思想や、趣味や生活のすべてを犠牲にして誰かに尽くすことだった。自分を殺すための努力を十数年続けてきたようなものだ。私はもともと個が強いタイプで頑固でもあるので、端から見たら「個性の強い子」だったとは思うけれど、「どう生きたいのか」を自問しても何も見当たらないくらいにはぼろぼろになっていた。

ぼろぼろになった心でそれでもなにか見つけたくて、「誰かを救える人間になる」と、今まで苦しんできた人生を供養するように、また新しい目標を立てた。

 

「日常的に傷ついてきた人間は、日常でしか救われない」と思ったから、福祉職員を目指した。

福祉を学んでそれを仕事にすると、「福祉とはどういう意味でしょうか」という問いにしばしばぶつかる。大学では「福祉とは『しあわせ』ということ」と繰り返し覚えてきた。welfare、well-being。より良い利益、より良い生活。それが『しあわせ』であり福祉なのだと。学んだ『しあわせ』は自分の思う救いに近い気がしたし、私は福祉職として一人前になることイコール「誰かを救える人間になる」ことだと信じていた。

実際に職について無我夢中な時期を越えると、「福祉ってなんだろう」という問いが改めて頭をもたげるようになった。エゴと何が違うんだろうと思った。どんなに真面目に働いても、勉強しても、認められても、ずっと心許なかった。『しあわせ』を自分に問い続けて働いて、思ったのは「福祉のいう『しあわせ』は『現状からの変化』なんだ」ということだった。それ以上でもそれ以下でもないな、と思った。個人単位でできることは、自己研鑽をもってして、誰かにとってのいい変化になれるよう信じたり期待をしたりすることだと思った。

さらに長く働くと、自分の知識や努力すら心許なくなってきた。『しあわせ』のためには、クライアントが色々な人間に出会い、色々な支援を受けられることの方が重要な気がした。じゃあ知識や技術は何のためにあるんだと思ったら、それを含めてクライアントが出会う「ひとりの人間」になるからだと思った。それって人間性で仕事するみたいなものじゃない?と思ったら、もう無理だと思ってしまった。致命的だと思った。自分のために積み重ねてきたものがないから、自分の人間性微塵も自信が持てない。仕事量や知識が「自分の人間性」に統合される感覚がない。仕事をしながら色々模索してみたけど苦しいだけで、自信が地に落ちた状態でやる仕事は地獄だった。そのうち「自分のために決断することから始めないとダメかもしれない」と気付いて辞職を検討し始めたけれど、踏ん切りがつかなくてもがいていたら力尽きた。

 

 

仕事を辞めたら、「誰かのため」に動くことがめっきり減って、改めて自分の意欲の根源は「誰かのため」なんだなあと実感した。

意欲が全くなくなって、夫におんぶにだっこ、わがまま言い放題の時期を過ごして、1ヶ月ほど経ったら「自分のために動こうかなあ」と思えるようになった。

今までとは全然違う基準でやりたいことを探して、そのために動いてみることになった。夫も協力してくれている(めちゃくちゃありがとう)。

(ちなみにだけど、「誰かのため」的なモチベーションは夫には発動しない。夫はわたしの人生の中で初めて「誰か」に当てはまらない、ごくごくプライベートな関係なので。)

 

そして「誰かを救える人間になる」という目標をまた捨てた。今の目標は「善良な市民になる」こと。

誰かが困っていたら声をかけるとか、ゴミはなるべく出さないし分別するとか、今だったら感染対策に留意するとか、自分のやりたいと思える範囲で善良であることを守っていこうと思う。ちなみにこの場合の「善良」は、完全に自分のイメージによるものなので、悪しからず。

 

何かを手放したら新しいものが入ってくる。そうして新しい自分に少しずつ変わっていく。それはごくごく個人的な「福祉」であって欲しいなと今は思っている。

 

 

 

ヴィーナス

 

年初め、夫が帰省して私物をたくさん持ち帰ってきた。

夫は半同棲→同棲→結婚という流れでタイミングを逃したことと呑気な性格とが相まって、実家に生活を半端に置き忘れたままずるずるきてしまった。今冬、お義姉さんの離婚に伴ってお義姉さん、甥、姪が夫の部屋に住まうことになったらしく、流石にこれじゃあいかんと重い腰を上げることになったのだった。

 

持ってきた荷物で4畳ほどのスペースが埋まってしまった。ひたすら整理、処分している中で、元カノからの誕生日プレゼントのアルバムを見つけた。

夫に「一緒に見ようよ」とふざけてけしかけて見たのはいいけれど、私が通ってこなかった世界がそこに詰まっていて、のちにひとりでじわじわと傷ついた。

夫から聞く彼女の人物像は、未熟で、真っ直ぐで、まわりから許されていて、そこに対する自覚がなくて、だからこそやりたいことにも欲しいものにも躊躇なく踏み込んでいけるような人。それがアルバムにも色濃く出ていた。私はとっても意地悪な気持ちで、「ハッピーな人間だな」と思った。私が選べなかった人生、持ち得ない感覚。芽生えてしまった劣等感がふつふつと煮込まれてどろどろになった段階で、夫に「元カノのこと、本当に浅はかな人間だと思う」というような話をしたら「嫌な気持ちになるなら見なきゃいいのに」と言われた。そりゃそうだ、と素直に思ったけれど、どろどろとした気持ちはしばらく抜けなかった。

 

選べなかった生活、選ばなかった生活に対するどろどろした気持ちってどうにもやるせない。

選べなかった生活に対して「今からでも選べるんだよ」とハッピーな持論を投げかけてくる人もいるけれど、私はそうは思わない。

子ども時代サンタさんを信じていた人間は多いと思うけれど、サンタさんを信じている状態でプレゼントをもらえる時期って本当にものすごく短かったと思う。サンタさんからのプレゼントって、無知が加わってプレシャスなものになるんだと思う。それと同じで不可逆な変化によって手に入らないものって、大人になればなるほどたくさんある。そしてふと襲ってくる未練って、そういう類のものに対する未練だったりする。

特に自分の過失や未熟さじゃなくて、不運であったり誰かの悪意や未熟さによって選べなくなってしまったものは、遺恨が強く残ってしまっていて、ふとした時にそれを強く感じる。遺恨が残っていることは自覚しつつ、穏やかに自分の中で処理できたらいいなあとは思うけれど、私はそんなに器用な人間じゃないので、元カノに八つ当たりしてしまって自己嫌悪してしまった。

 

でも、アルバムの中にあった夫の入浴中の写真(絶妙に大事なところは隠れていたが、全裸の写真だった)は流石にいただけないと思うし、昔付き合っていた人との思い出の品は特段思い入れが強くなければ処分するべきだなと思った。「ヴィーナス…♡」というコメントを数日間夫へのいじりに使ってしまってごめんなさい。でもいじらせてもらって大分気持ちが晴れたよ。元カノ、よくしらんけど、どこかまったく知らないところで幸せになっててくれ。

 

 

ただの貝塚

 

初めまして。

誰かに向けた文章を書くつもりは(今のところ)ないので、もしかしたらこの初めましては誰にも届かないかもしれないけれど。

 

自分の記憶や思いをひっそりと供養する場所として、このブログが機能してくれたら嬉しい。