夏の気配

今日は本当に何もしていない。6月、暇が始まった頃には「何にもやれない…時間が終わらない…きつい…」って感覚だったのが、最近は「やる気起きなくてネットサーフィンしてたら一日終わっちまったなあ」くらいになった。どうせ7月から仕事が始まる。時間もなくなる。少しくらい無駄に過ごしたっていいのだ。生産性が無い時間を過ごすとその後の自分にツケが回ってきそうで心許なく、生産性のない時間を過ごすのが心底苦手になっていたけれど、6月も下旬になると間延びさせてもとりあえず回ることが分かってきたので、存分に間延びした1日を過ごしている。私は適度にやることがある日を継続するよりも、きつい日とゆるい日を交互に過ごした方が健康を保てる人間なのだと思う。

 

そんな生活の中でもなんかめんどくせえなあ〜と思うのは職場とのやりとりだ。固定電話を引くから全て固定電話に統一してほしい。連絡を。いつでも見れるフリーメールでやりとりを済ませてほしいなんてめんどくさすぎる。何でもかんでもネットで長文の通知をしといて間違いのないようになんて無理だ。私はそんなに器用な人間じゃない。

きっと仕事が始まればメリハリがついて、業務時間の中での社内メールのやりとりや電話のやりとりで事足りるんだろうけど、仕事が始まる前のたった十数通のやりとりなんだろうけれど、それでもくそくそくそ面倒だ。これはただめんどくさくて嘆いてるだけで、私が苦手なだけなのは分かっている。

でも、なんか社会についていけないわけじゃないけど、ついていくのが疲れるなあとは思う。スマホも持っているしiPadもあるし、音楽はサブスクが楽だと思っているし、ネット購入なんかもするし、コンビニ決済やコンビニ印刷は便利!って思っているけれど、取り入れたくないものも生活の中にはある。便利だけがすべてじゃないと思う。生活の中ではアナログなやり方も選択できることが多いけれど、仕事となると選択肢が絞られてしまうので、最初はちょっと疲れるんだろう。今までの仕事がアナログすぎた分、戸惑うんだろうな。

 

 

あとはなんだっけ、夏至を過ぎて、夏のことを思い出したんだった。私はのんびりなので、夏至を過ぎたころに「日が伸びたなあ、もう夏至も過ぎたのかあ」といつも思う。そして梅雨がいつ明けるのかを検索して、来たる夏のことを思う。

私にとって夏は、なんとなくもの悲しく、猛々しさのある季節だ。戦争が終わった季節。8月に戦争の特集がいつも組まれるけれど、私はそれをまともに見たことがない。戦争映画も戦争の小説も、音楽も、詩も、できる限り避けて生きてきた。それでも、小学生のころにテレビ局の企画で行った沖縄のひめゆりの塔(だったかも定かではない)で戦争の体験を話してくれたおばあさんのことと、何人分かをつなぎ合わせて復元させた軍服のことを思う。室内の展示だけでもたくさんの名前があった。生きていた人だ。どんなことがあったのか詳しくは知らない。知識として知っていることもあるけれど、私はその時代に生きていた人間でも、関わってきた人間でもない。でも、そのことを思い出して、たくさんの真実のことを思う。

個人的には、戦争は起こってほしくないなあと思う。その当時の戦争とは全く別物だろうけれど、それでも。できることなら一揆や革命も、なるたけ起こってほしくない。人生で一度も戦争も一揆も革命も経験せずに死ねるのかなあ、そんな人生送れたらいいけど。そして、大事な人が、私より後に死んでくれるなら言うことはないな。

 

今年も夏が来るんだな。雨が降ると言うからジムに行くのを諦めたけれど、7割くらいは晴れと曇りだったんじゃないかな。湿気が多いからか、室温はそんなに高く感じないけれど、脇から汗がつうと伝う感覚があった。夏が始まる前の蒸した空気で、夏を想像している間が一番夏を感じているかも。夏ってなんか、来ちゃえば来ちゃったで通り過ぎていくよね。朝焼けと夕焼けはちゃんと意識的に見るけれど、青空は感じるだけで満足みたいな、そんな感じ。次に夏のことを思うのは、夏の終わりが色濃くなってきた時期だろうな。きっと。