雨とコーラ

 

最近雨続きだなあ。毎年この季節は髪の毛が言うことを聞かない。一年前?二年前?初めてこの時期に「髪質改善トリートメント」みたいなものをしたけれど、あれはほとんどストレートパーマみたいなもので梅雨にも関わらず快適に過ごせてびっくりした。今年は(というか去年の秋あたりから)美容院にも行かず、家でずうっと切ったりケアしたりしているので今梅雨の髪はひどいけれど、なんとなく今年はこのままでいいかなと思って放置している。

 

今日は仕事がお休みだけれど雨続きでしとしとしているので、江國香織さんの「雨はコーラがのめない」を読んだ。

私が持っているたった六冊の文庫本の中の一冊。毎年梅雨になると手に取る。この季節に読むのにぴったりの本だと思う。

アメリカンコッカースパニエルの雨と、江國さんと、音楽のある生活の話。江國さんと雨との生活は「昼と夜の区別があまりない」「監督者のいない子どもが二人で生活しているみたいだ」と文中でもあるとおり、なんとなく、時刻の感覚のない生活な気がする。「時刻」と言うよりは「何をした時間であるのか」で生活が回っていると言うか、そこに時刻の概念はすっぽり抜けている気がする。その代わり、空気感や季節感や、体調の機微や、気分の調子はすごく色濃く描かれている。彼らの生活は、静謐で、野蛮で、清々しい。ひっそりと生活をしているんだろうな。どこかですれ違っているかもしれない。

自分ごとだけれど、私は春から夏への境目の時期に、いつもふわふわとしてしまう。時間の進みがぼやっとして、朝だからどうとか明日があるからとか、毎日の生活リズムとか、なんかそういう脈々と続く未来なものがふわっと霧の中に包まれて、とにかく「今」だけになる感じがする。少し不安にもなるけれど、まあ見えないんだから今だけどうにかなればいいよね、いつの間にか霧は晴れていくよね、と少し開き直ったりもする。実際いつ見ても曇り空の日が多いし、雨も降ったり止んだりで日の進みも分かりづらいし、ちょっと混乱しがちなのもあるのかな。でもそれはそれで楽しむ余地があるのかもしれない。カラオケや満喫は、時間感覚が失われた方が没頭できる楽しみでもある気がする。逆に外に出て「時間の進まなさ」を肴に散歩したりしてもいいし。お風呂にこもってもいい。でも、感覚を失ったように生活していると本当に鬱屈としてきたりもするので、仕事に行けるくらいそこそこは保っていたいけれど。

 

こんなことを書いている間にすっかり夕方になってしまった。これから何をしよう。スーパーに行ってコーラでも買おうかな。それとも映画でも観ようか。スーパーの営業時間で日を計りながら生きればまあ仕事に行けるくらいは保てる気がする。今月の目標は24時間営業じゃないスーパーでモノを買うことにしよう。