贅沢病

死にたいと思ってそれを実行できるなんて、贅沢病だと家族からは思われていると思う。私は人生で四度、自殺未遂をしている。

 

初めて病院で目を覚ました時、とりあえずナースコールを押した。何が何だか分からなかったけど、とにかく押した。医者と看護師さんがぞろぞろと部屋に来て何か話していたけれどそれは覚えていなくて、医者が退出した後に看護師さんが、「僕、一日前に挨拶したんですよ。担当の○○です。覚えてますか?」と言われて、自分が一日前にも目を覚ましていたことを知った。倒れてから4日が経過していたらしい。

医者に母親と父親と弟が昨日きたこと、目を覚ましてすぐ、母親が「自殺するなんて信じられない。お前は私への当てつけのために自殺を図ったんだろう。そこまで家族を苦しめて楽しいか」と詰ったため止めたことを伝えられた。当分父親だけが面会に来るらしい。母親の面会はどうしたいかと医者に聞かれた。もう何も分からなかった。ただ、もうどうでもよかった。私は失敗したのだ。

 

医者が当分の面会を止めたからか分からないけれど、半年間の入院で母親が面会に来ることはただの一度もなかった。病院着は任意だったらしい。私は父親が病院着を手配してくれていたことを病室から出られるようになって初めて知った。シャンプーや歯磨き粉も置いてあった。持ってきてくれたらしい。久々の入浴で置いてあったシャンプーやボディーソープを使ったら久々に蕁麻疹が出て、肌に合わないのかもと言われた時に、それが100均のシャンプーとボディーソープであることを教えてもらった。親に持ってきてもらったもの、私には使えないものが多すぎたので、心電図をつけたままの外出が認められた。テレビカード用だよと渡された少しばかりの現金を持って、家に帰って外出着数着を見繕い、ドラッグストアでシャンプーとコンディショナーを買ったらボディソープを買うお金がなくて、あまりの10円で父親に電話してお金を持ってきて欲しいとお願いした。「せっかくお母さんが持ってってあげたのになんで使えないかなあ」と責めるような口調で言われたけれど、「看護師さんから蕁麻疹が出たのはシャンプーのせいだろうって言われちゃったから…」と看護師さんのせいにして誤魔化した。

 

私が最初に運ばれたところは大学病院の中の精神科病棟で、自殺未遂や急患に対応している地域で二つしかない医療機関のうちの一つだった。だから、私が入院している半年間の間にも、さまざまな方法で自殺を図った人がひっきりなしに運ばれてきて、多くは身体の回復とともに他の病院に転院して言った。ずっと残っているのは、既往症が他にもあって他の精神科病棟じゃ診れない患者さんか、拒食症の子。拒食も極めると心臓に負担が掛かるらしい。あんまり食べないと鼻チューブで強制的に栄養を取らされる羽目になるから、みんなギリギリのところで痩せを保っていた。あとは、突発的な自殺未遂だと判断されると、他の病院への転院が難しいから、そういう人も3ヶ月くらいはいたと思う。私は多分「突発的な自殺未遂組」かつ、「帰宅練習の後体調を崩したり、眠れなくなったりする」のの2つで多分長めに入院していたんじゃないかなと思っている。よく分からないけど。

その後結局一度は退院したんだけど、通院が2年になる頃に「このままじゃ絶対に死ぬ。あと三日も頑張れるか分からないほど、毎日死と睨めっこしている状態」と話したのをきっかけに再度入院することになり、それを契機に「家には戻らない方向で支援を考えよう」と、もう児童福祉法にも守られなくなってしまった年齢の私をどうするか、病院でいろんな打ち合わせをして、精神科のグループホームに移ることになった。看護師さんから、「どこに行っても立て直せるよ、でも、もう親のせいにして生きていてはいけない」「それは今のあなたには苦しいことかもしれないけれど、自立した方がきっと自分の人生を生きられるから」と背中を押してもらった。

 

去年、また自殺未遂をした。家を出てから「死にたい」と思ってもなんとか気持ちを立て直すことができていたけれど、その時は夫もあんまり頼りにならなくて、他に頼る場所もなくて、ひたすら自分で解決策を探して練ってみたけれど何も浮かばなくなって、なんかもういいやと思っちゃった。

夫は私がどんどん落ち込んでいくのを見ても「この人は自分でなんとかできる力を持っている人だから、自分なりに話を聞いたり、できることを増やして支えたい」としか思わなかったらしい。なんかもう嫌になった。

迷惑をかけたくないからとか、そういう気持ちでしか私は苦しい時に生きることを選べない。苦しい時期は誰にでもあると思うのだけど、そういう時にこの世に留まりたいと思う命綱が「周りの人たちを困らせたくない」しか正直ない。自分のことを一切信じられないのかもしれない。

今ですら「苦しくて今後突破できる見通しもないなら(一人なら)死んでも良くね?」と思っているし、多分あんまり生に執着もないんだと思う。何度か自殺未遂をして、また病院で何度となく死を見てきて、なんとなく「これなら割と高い確率で死ねるんだな」というやり方も心得ている。そして、後遺症が残りやすい自殺未遂の仕方も、そうならないためにはどうすればいいかもなんとなく分かっている。

あの時は「夫がすぐに駆けつけなければ高い確率で死ぬ」かつ「早めの処置をすれば割と復帰が早くできる」算段を立てて大量服薬をした。めちゃくちゃ迅速に帰ってくれたにも関わらず結構危なかった。夫には「この処置をしなければ死ぬので、同意をお願いしたい」という電話と、「処置は成功したけれど、もしかしたら死ぬ可能性がありますので今日は起きていてください」という電話の2種類が掛かってきたらしい。「あと30分処置が遅かった場合、死んでいた可能性が高いです」とも言われて、すごく背筋が凍ったとも言っていた。ごめん、私、そういう計算して薬飲んだし、あなたが早く動かなければ死ぬか後遺症がかなり重く残ると分かってて、ギリギリの時間に教えたんだ。

貯めに貯めたメンヘラを発揮したの、後悔がないかと言われれば嘘になるけれど、それ以外にあの時の窮状を突破できる方法があったかと言われればよく分からない。今考えても、手立てが浮かばない。まじで。自分の命を人質に取ることで助けを求める以外、誰が助けてくれるというのだ。自分なんか。

 

たまに思う。生への執着ってどうしたら生まれるんだろうって。

私、人生の中で4回も試しているけど、あんまり「本当に死ぬぞ」と思ってやったことそんなにないんだよね。だから、多分死にたいんじゃなくて、「今ある苦しいことから兎に角逃げてしまいたい。あなたに助けて欲しいけれど、上手に言えない」という気持ちなんだと思う。でもそういう時、自分の命を人質に取るようなこんな回りくどいやり方じゃなくて、上手に頼ったり逃げたりできる人間も世の中にはいるんだと思う。私にはそれができないし、多分「助けて欲しい」と思う人すらいなかったら、泥臭く生きるより「本当に死ぬぞ」に向かうんじゃないかなと思ってもいる。

「上手に頼れない」「上手に逃げられない」だけじゃなくて、多分「生への執着が人よりも薄い」ことも、4回も繰り返した理由として大きいと思う。

 

 

何が書きたかったかって、いまだに生家の人たちには自殺未遂をしたことを定期的に咎められているし、「お前が死を選べる人間だってことが、この上なく腹立たしい」「爆弾を抱えながら生活する苦しさがわかるか」と言われ続けているわけなんだけれど。

それは本当にそうだとも思うし、生家の人たちが共通で悩んできた一つなんだと思う。それはそうだけれど、まあ。

贅沢病でも人は死ぬからね、とは思った。