友達について

 

物心ついた時から「友達がいない」と悩んだことはほぼない。幼稚園から何度も転校を繰り返しているし、クラス替えの時期と重なれば半年しか関係がなかった子たちもたくさんいるのだけれど、それでも毎回誰かしら友達を見つけて、それなりに過ごしてきた。私はちょっと変わったやつだったと思う。休み時間になると1人の場所を探して彷徨ったりもしたし、廊下がオープンスペースになっている学校ではついたてがそこかしこに置いてあって区切れたので、3枚並べて三角の「自分スペース」を作って本を読んだり、耳を塞いだりして過ごした。友達と関わるのは好きだったけれど、そればかりだと刺激が多すぎて苦しくなってしまう。(これについては、発達障害的なものなのか虐待による過敏さなのか今でも分からない。)それでも友達は「今なら遊べるんだね、一緒に遊ぼう」くらいの適当な距離感で一緒にいてくれたし、私もそういう距離感がありがたかった。

中学生に上がってからは練習量が多い部活に入ったので、朝は6時から朝練、学校の大きい中間休みもビデオで振り返りか理論の学習、夜は20時まで夜練、みたいな生活をして「適度な距離」で「ストレスの少ない誰かと過ごす」ことがなくなってしまったので苦しかったけど、幸い中3での転校が早くに決まったので2年生の夏休みには退部をしてしまった。中学生時代にはあんまり楽しい思い出はない(と自分では思っている)けれど、成人してからも連絡を取り合っていた友達もいるのでそれでも数人は友達がいたんだと思う。

 

最近、友達の話を聞いたり夫の話を聞いたりして、「あいつだけは思い出すだけで苦々しい気持ちになるな」と言う人間が誰しも人生で1人2人はいるのかもしれないと思った。私にもそういう誰かがいるのかもと思って思い出せるだけ思い出してみたけれど、私にはそういった友達はいないようだった。でも、1人だけ、「あのこと接した自分だけは本当にいつ思い出しても苦々しい」と思う子がいた。

 

私は転勤族だったので、成人するまでの間で一番長く留まっていたのは小学校4年生〜中学校3年生夏までの4年半過ごした家だ。小学校4年生の時に、同じクラスと隣のクラスに双子がいた。彼女たちは二卵性だと聞いていたけど瓜二つで、秀才であることも、運動神経がいいことも、くるくるとした硬質の天然パーマであることもよく似ていた。中学生になり、双子のそれぞれの人格(ひとりは頑固で真面目で、何か自分の意にそぐわないことがあると苦々しい顔をするし、もうひとりは朗らかで、困ったときの笑い方が切ない)を分かってきた。私は朗らかな方の彼女と、「友達の友達」くらいの付かず離れずの距離感で接するようになった。彼女らは相変わらず頭がよくて運動神経もよくて、よく部活でも表彰されていたしテストでもいつも上位にいたらしいけれど、朗らかな彼女からは双子のもうひとりや彼女の父母のような「お堅い」感じは全くなかった。むしろ、家族のそれを揶揄されるといつも困った顔で笑っていた。彼女が学校の仲間から外れ出したのは、確か学年の中でもとびきりやんちゃで、顔が可愛くて体格がちんまりしている、ちょっと不良風な男の子と付き合い出した時だ。私は彼女とは違うクラスだったし、「友達の友達」くらいの距離感だったのでその子がみんなといる頻度が目に見えて減っていても何も疑問に思わなかった。2年生の夏、茹だるような暑いオープンスペースで、友達が彼女を見ながらくすくすと笑い、「アイツ今からトイレかな。ぼっちウケるんだけど」みたいなことを話していて、「あっ」と思った。彼女と話さなくなって数ヶ月経っていた。「なんかあったの?」と聞くと、「最近調子乗ってるからみんなハブってんだよね。あれ、知らなかった?最近話してる〇〇ってあいつのことだよ」って返されて、今自分はとんでもない話を聞いている…!と思ったことだけ覚えている。あだ名は本当に何か忘れたけど、彼女を揶揄するための暗号のようなもので、私はそれを「自分に全く関係のない誰か」のことだと思って笑って聞き流していた。休み時間は短いのでモヤモヤしたまま一旦自分の教室に帰って、その後少しして普段は行かない塾の自習室に行って話を聞いた。詳しくは覚えていないけれど彼女がハブられた理由は「みんなが調子乗ってるっていってる」し「なんかムカつく」からなんだと聞いた。何か嫌な出来事があったのかと重ねて聞いたけれど、それは曖昧にはぐらかされて、ますますわからなくなった。私は彼女が嫌いじゃなかった。むしろ人当たりがよくて、頭もいいし運動神経もいいし、常識的で非の打ち所がない子だと思っていた。でも、噂が噂を呼んだのか段々と彼女に対する風当たりは強くなっていって、「彼氏にも振られたらしい」とか「テストの点数で〇〇に負けたらしい」とか、どうでもいいことまで噂になり出した頃、私も部活を辞めて、暇があれば廊下で駄弁るようになった。その時期は自分の居場所も心許なかったので、彼女たちに同調しようと躍起になっていた。冬のはじめ、初めて彼女を揶揄するためのあだ名を呼んだ時、たまたま彼女と目が合った。目が合った気がしただけかもしれないけど、その時、「本当に申し訳ないことをした」とか「今まで一度も彼女を落とすようなことを言った事なかったのに」とか「彼女がいないか確認したはずだったのに」とかうわっと色々なことを思ったし、自分のことが心底情けなく、恥ずかしくなって、逃げるようにトイレに行った。その後は彼女についての話題は避けるようになったし、そういう態度でいたらよく話していた子たちのうちのひとりとよく話すようになり、呑気な話しかしなくなった。次の夏には転校が決まっていたので、夏までには謝ろうと決めていたけれど、どうにも勇気が出ず、彼女とは話さないままひっそりと転校した。

成人式の二次会で当時呑気な話をするような仲になった友達と、彼女と再会した。彼女は私が転校した後に、みんなと和解(?)したらしかった。私が道端に倒れていた三角コーンを直したら「そういうとこ本当に変わんないね!」と2人から言われた。2人からは私が「底抜けに誰かの悪口を言わない」「誰かの迷惑を積極的に被る」人に見えていたらしい。それを知って、また自分の情けなさが蘇ってきて、あの時彼女を揶揄するようなあだ名を言ってしまったことを数年越しに謝った。「そんなこともあったねえ」と彼女は笑っていた。「あの時はちょっと辛かったけどね」と困った顔でも笑った。彼女は私たちが輪に入らない選択をしたことも知っていて、「あの2人らしいなあ」と思っていたらしい。そういう風に思われていたことも含めて、あの時期の私、本当に情けなくて恥ずかしい。

 

夫に「一番友達関係で後悔していること」として上記のことを話したら、「俺はそんな思いしたことなかったなあ」「いじりみたいなもん?」と返されたので「そうだこいつはハッピーな人間…!」と改めて思った。いじりだとしても友達を揶揄したことがあったかと聞いたら、「俺はどっちかっていうといじられ役というか、うーん…変ないじりをしてるなと思ったらスッと輪から外れちゃってるかもしれない」と話していた。「キョロ充みたいなやつが一番いじるじゃん。でもそういうキョロ充みたいなやつって、自分より体格が大きかったり、いかつい顔のやつには大きく出れないらしいんだよね。俺は体格がずっと大きいし趣味もいかつかったから、そういう輪の中に入らずともそこそこ上手くやっていけたし、嫌だな〜って態度を出すと自ずと話題が変わってったから」と話していて、素直に「ずるい!」と思ってしまった。ただ、夫は人生で出会った何人かの「キョロ充みたいなやつ」のことを思うと苦々しい気分になるらしい。もう二度と関わらないことを祈っているらしい。

私は今まで関わった人たちは「ただのひとりの人間」だと思っているので、縁があれば関わるし、縁がなければ関わらない、それだけのことだと思っている。良縁でも悪縁でも結ぶのは自分だ。強制的に結ばされた縁なんて血縁くらいのもんなのだ。血縁も少し克服したので、縁に関しては怖いことはない。でも、自分とは生きている限り一生付き合っていかなくちゃいけない。自分を守るためでも誰かを守るためでもなく、ただ誰かに迎合したいからという理由で平気で誰かを傷つけるだろう言葉を吐いたあの時の自分だけは心底苦々しい…。こういう気持ちにいつまでもなるのが自分だから、今後の人生はなるべく自分が納得できる理由なく、誰かを傷つけることがないように生きていきたい。