わたしの福祉、わたしのしあわせ

目標を手放してばかりの人生だ。

 

愛されたかった私の目標は、いつだって誰かのためのものだった。清く正しく美しく、非がない人間であれば愛されると信じていたから。

 

物心ついたときからわたしの目標は「真っ白な人間になる」ことだった。

今だから分かるけれど、私は他の誰も信じていなかったんだと思う。親がちゃんとしていない人間であることはなんとなく気付いていたし、その上で自分が求められるものが理不尽すぎることも認識していた。真っ白な人間になりたいと思い続けていたのは、ただ漠然と「だれよりも清く正しく美しくあれば、誰の目にも非がなければ、誰にも責められない」と思っていたからだった。母の基準もあてにならない、転勤族で地域に信頼できる人もいないし親族の縁も薄い私には、誰の目にも非のない自分を目指すことしかなかったんだと思う。

ずうっと「真っ白」を目指して生活していたけれど、私は当たり前だけど人間だった。真っ白になんてなれず、母にも到底愛されず、よく分からない基準で卑下され続けた私は疲弊し、その目標ごと16歳の時にいのちと一緒に投げ捨てた。それでもいのちだけはどこかに引っ掛かってしまったみたいで、病院のベッドで、「こんなに家族を苦しませて楽しいか」と詰られながら絶望した。

命を投げ捨てるような人間は真っ白にはなれないと思ったけれど、一度投げ捨てた命をもう一度大事にできるモチベーションもなかったので、「助けてくれた人のために生きる」を目標にした。病院にいる福祉関係の方、病院の看護師さん、学校の友達。ぼろぼろになった自分に価値なんて見いだせなかったけれど、「生きてほしい」と言われることが多かったので、ただそれを依り代にして生きていた。

そのうちに「家族とは離れて生活するべきだ」といろんな人から言われるようになって、家族と離れて生活するようになった。家族以外の人との新しい生活に慣れると、生きることそれ自体を目標にしなくてよくなった。二十歳を過ぎて初めて、「自分はどうい生きたいのか」を考えるようになった。

「真っ白」を目指すということは、自分の個性や、思想や、趣味や生活のすべてを犠牲にして誰かに尽くすことだった。自分を殺すための努力を十数年続けてきたようなものだ。私はもともと個が強いタイプで頑固でもあるので、端から見たら「個性の強い子」だったとは思うけれど、「どう生きたいのか」を自問しても何も見当たらないくらいにはぼろぼろになっていた。

ぼろぼろになった心でそれでもなにか見つけたくて、「誰かを救える人間になる」と、今まで苦しんできた人生を供養するように、また新しい目標を立てた。

 

「日常的に傷ついてきた人間は、日常でしか救われない」と思ったから、福祉職員を目指した。

福祉を学んでそれを仕事にすると、「福祉とはどういう意味でしょうか」という問いにしばしばぶつかる。大学では「福祉とは『しあわせ』ということ」と繰り返し覚えてきた。welfare、well-being。より良い利益、より良い生活。それが『しあわせ』であり福祉なのだと。学んだ『しあわせ』は自分の思う救いに近い気がしたし、私は福祉職として一人前になることイコール「誰かを救える人間になる」ことだと信じていた。

実際に職について無我夢中な時期を越えると、「福祉ってなんだろう」という問いが改めて頭をもたげるようになった。エゴと何が違うんだろうと思った。どんなに真面目に働いても、勉強しても、認められても、ずっと心許なかった。『しあわせ』を自分に問い続けて働いて、思ったのは「福祉のいう『しあわせ』は『現状からの変化』なんだ」ということだった。それ以上でもそれ以下でもないな、と思った。個人単位でできることは、自己研鑽をもってして、誰かにとってのいい変化になれるよう信じたり期待をしたりすることだと思った。

さらに長く働くと、自分の知識や努力すら心許なくなってきた。『しあわせ』のためには、クライアントが色々な人間に出会い、色々な支援を受けられることの方が重要な気がした。じゃあ知識や技術は何のためにあるんだと思ったら、それを含めてクライアントが出会う「ひとりの人間」になるからだと思った。それって人間性で仕事するみたいなものじゃない?と思ったら、もう無理だと思ってしまった。致命的だと思った。自分のために積み重ねてきたものがないから、自分の人間性微塵も自信が持てない。仕事量や知識が「自分の人間性」に統合される感覚がない。仕事をしながら色々模索してみたけど苦しいだけで、自信が地に落ちた状態でやる仕事は地獄だった。そのうち「自分のために決断することから始めないとダメかもしれない」と気付いて辞職を検討し始めたけれど、踏ん切りがつかなくてもがいていたら力尽きた。

 

 

仕事を辞めたら、「誰かのため」に動くことがめっきり減って、改めて自分の意欲の根源は「誰かのため」なんだなあと実感した。

意欲が全くなくなって、夫におんぶにだっこ、わがまま言い放題の時期を過ごして、1ヶ月ほど経ったら「自分のために動こうかなあ」と思えるようになった。

今までとは全然違う基準でやりたいことを探して、そのために動いてみることになった。夫も協力してくれている(めちゃくちゃありがとう)。

(ちなみにだけど、「誰かのため」的なモチベーションは夫には発動しない。夫はわたしの人生の中で初めて「誰か」に当てはまらない、ごくごくプライベートな関係なので。)

 

そして「誰かを救える人間になる」という目標をまた捨てた。今の目標は「善良な市民になる」こと。

誰かが困っていたら声をかけるとか、ゴミはなるべく出さないし分別するとか、今だったら感染対策に留意するとか、自分のやりたいと思える範囲で善良であることを守っていこうと思う。ちなみにこの場合の「善良」は、完全に自分のイメージによるものなので、悪しからず。

 

何かを手放したら新しいものが入ってくる。そうして新しい自分に少しずつ変わっていく。それはごくごく個人的な「福祉」であって欲しいなと今は思っている。