好きと遊び

 

蒼井優さんが好き。百万円と苦虫女を観た時に「なんて儚く、綺麗な女優さんなんだ」と思った。その当時私は「自由になりたい、しがらみから離れて根無草になりたい」と強く思っていて、百万円と苦虫女は悩みながらも軽やかに住む場所を変えられていてすごいなって思ったんだった。今観るとまた違う見え方をする物語ではあるんだけど、彼女の持っている雰囲気や華奢さと、自然と、人間たちがそこでおずおずと関わっていくようすがいじらしくて今でも大好きだ。

 

彼女が出演している数々の作品の中でも特にナツイチの「ことのは」のCMが大好きで、夏になると繰り返し観ている。その関連動画で最近のCMが出てきたのだけれど、今の彼女は当時の彼女よりも華奢なイメージは薄れて、少しどっしりとした雰囲気を纏っていた。結婚もしたし、彼女自身にも変化があったのかなと推測するのだけれど、それでも彼女は変わらずきれいだ。でも、どうしても、華奢な頃の彼女の細い二の腕やしなやかな体の動き、眉をひそめた困った表情、何かを言おうとする時の一瞬の間、そして儚げな笑顔に引き込まれてしまう。昔は良かったとかそんなことじゃなくて、多分誰もが危うく儚い時間を経て大人になるんだなと思う。そしてその時期はやっぱりすごく眩しい。

 

私もこのごろ「幸せが濃くなってきたんじゃない?」と夫に言われる。自分でも病み感が薄れたというか、なんだろう…言い表せないけれど、路地裏のずぶ濡れの汚い子犬くらいから、家の外で飼われている柴犬くらいには堂々とするようになったなとは思う。8年ほど前にお世話になった恋人に「私を動物に例えるなら、Puppyだと思う」と言われて、英語で答えられたのも含めて全く理解ができなかったのだけど、今はなるほどと思う。確かに、全然馴染めていなくて、怖がりで、そのくせ誰かに頼らないと生きてもいけなくて、ある意味では可愛かっただろうし、そしてとてもめんどくさかっただろうな。危うく儚い時期は誰にでもあるとさっき話したけれど、彼と過ごした時期は特に私の「危うく儚い時期」だったなと思う。でもパピーだからいろんな人に助けてもらえた。自分を綺麗にすること、君はこんなに可愛いんだよと繰り返し言われること、あたたかい場所へのお散歩。そういう全てをなるべく忘れずに生きていこうと思う。まだ「危うく儚い時期後期」って感じなんだけど、今後自分がどう変わっても、自分が歩んできた軌跡は忘れずにいたい。

 

 

話は変わるのだけれど最近仕事を始めた。今までは学齢期の子どもを主に見てきたのだけれど、今度の仕事は未就学児が対象だ。未就学の子ども、人生数年目です〜!って感じでめっちゃ可愛い。あの時期って大人のことどう見えてたっけな…と思い返してみても全く実感として残っていたものはなかったけれど、自分より遥か遠い存在として大人を認識していたなとぼやっと思い出した。今後子どもたちが成長して大人のことが浮きぼりになってきた時期に大人に絶望しないように、「関わってきた優しい大人」の一人になりたいなと思っている。別に一人の人間として心に残っていなくてもいいので、大人の総体のうちの一人としていい大人でありたい。

 

仕事は遊びの中で困りを支援したり得意を伸ばすものなんだけど、未就学児の遊び方を見てると学齢期のそれよりも「好き」が単純なぶん読み取りやすい。学齢期の「好き」は単純な興味関心、感覚の快不快だけじゃなくて、人間関係を営むためのひとつのツールとしての側面もあるので、もっと重層的になっているから難しい。未就学児の遊びを見てると「好き」ってこんな単純でもいいんだった、と思い知らされる。大人にも色々いるので、「そういう『好き』があるのね〜了解!じゃそっちの方面で遊んじゃおっか!」ってなる人と「この遊びはこれを想定しているものなのになんで違う遊びをするの?ちゃんと遊ぼうよ」ってタイプの人がいる。難しいな〜と思うけど私は子どもの「好き」を大事にして遊びたいなあ。「ちゃんと遊ぶってなんなんだ?」って突っ込みたい気持ちもあるし。私はインプット型の余暇 が多いから子どもの遊び方に逆に教えてもらうこともいっぱいあるし、やっぱり人と関わる仕事は面白いなあと思う。これは別のベクトルだけれど、日勤帯の仕事…残業も少ない…神…!と日々思っているから長く続けていければいいな。

 

今日は久しぶりの青空なので、書くのもそこそこにしてジムに行ったりカラオケに行ったりしようと思っている。でもちょっとめんどくさくなっちゃった。