夏の気配

今日は本当に何もしていない。6月、暇が始まった頃には「何にもやれない…時間が終わらない…きつい…」って感覚だったのが、最近は「やる気起きなくてネットサーフィンしてたら一日終わっちまったなあ」くらいになった。どうせ7月から仕事が始まる。時間もなくなる。少しくらい無駄に過ごしたっていいのだ。生産性が無い時間を過ごすとその後の自分にツケが回ってきそうで心許なく、生産性のない時間を過ごすのが心底苦手になっていたけれど、6月も下旬になると間延びさせてもとりあえず回ることが分かってきたので、存分に間延びした1日を過ごしている。私は適度にやることがある日を継続するよりも、きつい日とゆるい日を交互に過ごした方が健康を保てる人間なのだと思う。

 

そんな生活の中でもなんかめんどくせえなあ〜と思うのは職場とのやりとりだ。固定電話を引くから全て固定電話に統一してほしい。連絡を。いつでも見れるフリーメールでやりとりを済ませてほしいなんてめんどくさすぎる。何でもかんでもネットで長文の通知をしといて間違いのないようになんて無理だ。私はそんなに器用な人間じゃない。

きっと仕事が始まればメリハリがついて、業務時間の中での社内メールのやりとりや電話のやりとりで事足りるんだろうけど、仕事が始まる前のたった十数通のやりとりなんだろうけれど、それでもくそくそくそ面倒だ。これはただめんどくさくて嘆いてるだけで、私が苦手なだけなのは分かっている。

でも、なんか社会についていけないわけじゃないけど、ついていくのが疲れるなあとは思う。スマホも持っているしiPadもあるし、音楽はサブスクが楽だと思っているし、ネット購入なんかもするし、コンビニ決済やコンビニ印刷は便利!って思っているけれど、取り入れたくないものも生活の中にはある。便利だけがすべてじゃないと思う。生活の中ではアナログなやり方も選択できることが多いけれど、仕事となると選択肢が絞られてしまうので、最初はちょっと疲れるんだろう。今までの仕事がアナログすぎた分、戸惑うんだろうな。

 

 

あとはなんだっけ、夏至を過ぎて、夏のことを思い出したんだった。私はのんびりなので、夏至を過ぎたころに「日が伸びたなあ、もう夏至も過ぎたのかあ」といつも思う。そして梅雨がいつ明けるのかを検索して、来たる夏のことを思う。

私にとって夏は、なんとなくもの悲しく、猛々しさのある季節だ。戦争が終わった季節。8月に戦争の特集がいつも組まれるけれど、私はそれをまともに見たことがない。戦争映画も戦争の小説も、音楽も、詩も、できる限り避けて生きてきた。それでも、小学生のころにテレビ局の企画で行った沖縄のひめゆりの塔(だったかも定かではない)で戦争の体験を話してくれたおばあさんのことと、何人分かをつなぎ合わせて復元させた軍服のことを思う。室内の展示だけでもたくさんの名前があった。生きていた人だ。どんなことがあったのか詳しくは知らない。知識として知っていることもあるけれど、私はその時代に生きていた人間でも、関わってきた人間でもない。でも、そのことを思い出して、たくさんの真実のことを思う。

個人的には、戦争は起こってほしくないなあと思う。その当時の戦争とは全く別物だろうけれど、それでも。できることなら一揆や革命も、なるたけ起こってほしくない。人生で一度も戦争も一揆も革命も経験せずに死ねるのかなあ、そんな人生送れたらいいけど。そして、大事な人が、私より後に死んでくれるなら言うことはないな。

 

今年も夏が来るんだな。雨が降ると言うからジムに行くのを諦めたけれど、7割くらいは晴れと曇りだったんじゃないかな。湿気が多いからか、室温はそんなに高く感じないけれど、脇から汗がつうと伝う感覚があった。夏が始まる前の蒸した空気で、夏を想像している間が一番夏を感じているかも。夏ってなんか、来ちゃえば来ちゃったで通り過ぎていくよね。朝焼けと夕焼けはちゃんと意識的に見るけれど、青空は感じるだけで満足みたいな、そんな感じ。次に夏のことを思うのは、夏の終わりが色濃くなってきた時期だろうな。きっと。

 

からだと幸せと不幸せ

 

 

生活の中にあるちょっとした不幸とか、ちょっとした幸せとすごく近い人なんだと思うと夫に言われた。

 

たしかにそうかも。

 

その時に夫も言ってたけれど、どちらかと言うと不幸寄りのタイプで、じゃれていたら頭をぶつけり、コーヒーをぶちまけたり、背面飛びが人生で一度もできたことがなかったりしている。

 

最近、そんなちょっとした不幸に出会ったときにちゃんと対峙できる人間になりたくて、(あと暇をもて余して)、体を鍛え始めた。三角筋が壊滅的にないみたいで、三角筋に効くマシンは絶対に筋肉痛を起こしている。

自分のからだには体重くらいしか興味がなかったけれど、30も手前になって、今まで一緒に生きてきたからだのことを少しずつ考え始めた。内蔵も外見もたくさん傷つけてきたけど、それでもへこたれずに一緒に生活をしてきたわたしのからだ。これからはちゃんと意識的にからだに頼って生きていきたいので、頼らせてもらおうと思う。もう少し軽やかに動けるようになってほしいので、いろんなところをいじめている。

たぶんだけど、からだが軽やかに、しなやかに、強くなったら、ちょっとした不幸にたくさん出くわしても大丈夫な気がする。

 

今日はたくさん、穏やかにいい日だったな。こういうなんでもない日を忘れないでいたい。今お気に入りの椅子にさびを見つけたけど、生活をちゃんとしていたのでなんとかなった。自分を守る手だてはちゃんと大事にしたい。

 

 

 

 

やるべきこと

 

自分のこと、まじでクズな人間だと思ってる。

就職が延びてしまって、急にお暇ができた。今まで朝からずっとやることがあったけど、急になくなって戸惑っている。

それに何もかも考えたくない。そういう時の時間の過ごし方が私はいつも下手だ。

 

昨日やりきれなさと疲れがどっときて、夫が仕事から帰ってきて開口一番「もう何も考えたくない」「暇を持て余しすぎているけれど、何をしても楽しくない」ということを話した。新しい仕事で疲れて帰ってきたところに朝と同じ格好で部屋も整わず、「何も考えたくないから全部何もかも考えてくれ」と雑に伝えてしまったので普通に喧嘩になったし険悪な空気になった。でもご飯を食べて満腹になり、気持ちも落ち着いたら前向きに話せて、「当分は判断を夫が担い」、「やるべきことがないときついなら、やるべきことを作る」ことになった。とりあえず今日1日のタイムテーブルを作ってくれた。判断を担うのはちょっと難しいかもしれないし、どうせ元気が出たらそこら辺は手伝うんだろうけど、とりあえず心意気だけはありがたい。少しずつできるようになってほしい。

 

今日は夫のタイムテーブルに沿って動いた。洗濯しか「やるべきこと」はないようなもんだったけど洗濯だけちゃんとやった。図書館にも行ったし映画も見た。掃除も気が向くぶんはやった。それでも時間は余るし、夫の帰りを待つだけの時間がこんなにもしんどい。そう言えば昔から、「やりたいこと」をやる時間って人生の中でもさほどなかったかもしれないな。経験不足なのかも。

就職が決まってないけどほぼ確定ですと言われているし、雇用保険の中で休んでいるのでバイトも難しい。働くことを制限されているようできつい。急なお暇で、本当に今まで私の中で「働く」とか「やるべきことをやる」ってことだけが人生の退屈を紛らわすことができる手段だったんだなってのを痛いほど痛感している。就職が決まりそうなところに、「やっぱ無理でした」と言われたら「これで暇がなくなる!」と喜びそうなくらい暇。日中自転車で外に出ると、主婦の方やお年を召した方々が買い物に出たりしているのを見かけるけれど、まじで歩くスピードも買い物のスピードも遅くてびっくりする。ゆっくりと時間を過ごしていないと、もしかしたら退屈すぎて死んでしまうのかもしれない。

コロナの影響がもしなければもしかしたら遠出したりもしていたかもしれないけれど、毎日毎日防災無線で感染防止の呼びかけと迷い老人の放送とが繰り返し流れているので、なんとなく外出の気持ちも失せるし、少し滅入る。

 

今日は映画を観る時間が2時間半設定されていたので、「ステキな金縛り」を観た。142分でちょうど良さそうだったのと、三谷幸喜作品は一人で観るのに重すぎず冗長でもなく最適な気がしたから。そしてその期待に違わない映画だった。一人で映画を見る時間がこれからもタイムテーブルに組み込まれたら、三谷幸喜作品を片っぱしから見ようと思う。

あと図書館で、星野源さんのエッセイ「働く男」と、西加奈子さんの「白いしるし」と、米澤穂信さんの「氷菓」を借りた。重すぎないように慎重に選んだ。

氷菓は最近映画も見たけれど、小説は映画とは少し結末が違うらしい。アニメはすごく透明感のある作品らしいけれど、映画はどことなく灰がかった雰囲気の作品になっていた。ホラー映画が評価されている監督さんの作品らしい。高校生活って鬱屈としているのにおどろおどろしくない感じがあるから、映画の雰囲気は全然違和感がなかった。小説はどうなんだろう。内容を知っている作品の小説を読むのは、答え合わせと間違い探しをするようで少しドキドキする。星野源さんのエッセイはタイムリーなので借りた。前回もタイムリーって理由だけで「そして、生活は続く」を借りて読んだけれど、軽快になろうとしている人間の生活って感じでよかった。そういえば最近、求職者訓練で出会った元デザイナーの方と、「穏やかに過ごしたいけどなかなかそういう人生になっていかない」って話をしたな。私もその人も、やるべきことが見つかれば頑張ってしまうタイプの人間だけど、「やるべきこと」にあんまり見境がない人間だ。振って湧いたような話にぱっと飛び込んで、そこで試行錯誤していく類の人間。振ってわいたようなことに飛び込んで真摯になれる人間ってあんまりいないなと思っている。私は体力や気力がついていかない時も多いのでまだまだ修行が必要だけれど、その人は本当にいろんな才があって、星野さんのエッセイから感じ取れる星野さん像にも通ずるところを持った人だった。コロナ禍で仕事が途切れてしまったと話していたけれど、ちゃんとやりたいことを見つけて就職まで漕ぎ着けていて、本当にすごい人だと思う。星野さんのエッセイは隣人の話を聞いているみたいな感じだ。これもきっと軽やかに読み切れると思う。

 

今夫から連絡がきた。もう少しで夫が帰ってくる。今日は豚肉と野菜のコチュジャン炒めと中華スープってタイムテーブルに書かれてた。もう少し準備に時間のかかるものにしてくれると暇を持て余さなくて助かるなと思うけど、タイムテーブルに忙殺されても困るので言わないでおこうと思う。

 

 

 

最近

紙の日記に書こうとしても、ウェブ上に書こうとしても何もまとまらないくらい、最近の自分は混乱している。

いつも書いているうちに整理されてやるべきことが見えてくるけれど、今回は書き始めても何も整理されていかない。ただ、混乱していることだけがわかる。

 

やらなきゃいけないこと、やるべきこと、やりたいことが本当にごちゃごちゃになっていて、やらなきゃいけないことの筋の通し方もわからないし、やるべきことの本質が全く見えない。やりたいことだけ朧げにあるけれど、じゃあ実際やる元気や気力がある?と言われたら全く湧かなくて、結局家の中で時間だけやり過ごしている。

 

心が疲弊していくのをここ数ヶ月ひしひしと感じていたけれど、結局悪化させるだけさせてしまった。もう現実感すらおぼつかなくて、やらなきゃいけないことでもなんとなくふわふわこなすか、こなさずに無視することもあるくらい。なんで疲れたのかって、先が見えなかったからだと思ってて、でもそれは今も同じだ。二人で生活をしていくはずなのに、私は二人分の身のふりかたを考えている。夫は無責任な訳でも無関心なわけでもないけれど、考える力が壊滅的にない。考える力が壊滅的にないから、身体的な感覚や心の快不快に依って行動を決めてしまう。夫の決断と現実的な部分で折り合いをつけるための様々な試行錯誤に散々疲弊したし、少し前に比べれば事態は好転したようにも思えるけれど細々した後始末も残っているし、今後もまた疲れは溜まってしまうんだろう。悪気がない人に怒りを向けるのも、丁寧に疲れていることや傷ついていることを説明するのも疲れる。自分の人生の責任は自分で取ってほしい。なんでこんなに甘やかしているんだろう…とも思うけれど、負荷をかければ乗り越える方法を見つけられるものなのか、そもそもできないことなのかも分からない。できないことを求められるのもきついと思う。実際夫がメンタルにきちゃったのは、自分のキャパシティを超えた事態に陥ったからだとも思ってるし、できないことは求められないなとも思うから。

 

いろんなことを考えるのに疲れた。もうなんでもいいよ。生活が続く限り、この先もう少し事態が落ち着くまではもう疲弊しかしないんだろうと思うし。そんな中でもパートナーはいろんな「考えるべきこと」を振ってくるし。投げ出してしまいたい。なんか一旦投げ出してしまって、私も夫みたいに怒られたりやるべきことを簡潔に伝えられたり、今あるものの中で何ができるのかできないのか判断してもらいながら1ヶ月くらい生きたいよ。完全に役割を交換してほしい。

 

まあ、難しいだろうなあ。私が疲弊するくらい捌くのが今は特に難しいのに、初心者に難易度が高いものを丸投げするのも酷だと思うし。でも私もめちゃくちゃしんどい。私は自分のキャパを超えることを継続的にふっかけられたら人生ごと投げ出すことしか思いつかなくなるので、そうならないくらいに対処していけたらいいな。もうすでに、人生ごと投げ出しちゃいたいって思っちゃってるところもあるんだけど、そのほかにもいろんな方法があるんだと思えているうちに対処していきたい。

 

 

 

ストウブと生活

最近、ストウブでごはんを炊いている。

 

高校時代の部活の仲間たちから結婚祝いの品にといただいたものだ。結婚に際してお祝いは本当に本当に、ほんっとうに要らないからね、と事前に断っておいたにも関わらずサプライズで頂いたこの鍋は、送ってくれた当人たちの善意や祝意とは裏腹に、私にとっては重い枷となっていた。

長らく家族との縁に悩んできたので、結婚生活を何があっても続けていくつもりがそんなになかったし、結婚というプライベートな変化を公に祝われることについて羞恥的な気持ちを感じていた。

ストウブは手入れのしかたによっては永年的に使えるらしい。そして生活への馴染みがよく、頻繁に使う人も多いらしい。私は「これなら生活にも馴染みそう!」という善意と、置いてあるだけで感じる「結婚記念品としてのそれ」の圧とで悩み、結局一年ほど箱のまま放置してしまった。

 

一年ほど経ったら結婚を報告したり祝われたりするイベントも一段落ついて、なんだかんだ使うかあ、と重い腰を上げてストウブを引っ張りだしたけれど、なんだかんだ使うには重すぎた。鍋が。調理するのも洗うのも面倒すぎる。

 

ストウブを使うために試行錯誤した結果、私は凝った料理が好きな訳じゃなくて、外食よりもフットワークが軽い時に自炊を選びやすいんだなあと思った。そしてふと気付いた。「ストウブを使っておかずを作るのも面倒だけど、炊飯も同じくらいめんどくさいな」。

めんどくささとめんどくささを融合させたらマシになるかなくらいの軽い気持ちでストウブで炊飯したら、めんどくささよりおいしさが勝ったし、手入れも炊飯の行程も炊飯器よりも軽やかだった。ストウブ、すごい。すごい炊飯ができるやつだ。

こうしてストウブは無事(?)、炊飯器としての居場所を手にいれた。ストウブ、炊飯器じゃないけど。

 

相手との関係性の深さに関わらず、誰かにちゃんと選んで贈ってもらったものはちゃんと使いきりたいし、生活の中にちゃんと居場所を作ってあげたいと思っている。それは他の誰にも見えなくても、私はこの人(たち)との人間関係を大事に思っているぞっていう私なりの誠意だ。相手にそんな意図がなくても、私がそう思っているからそうしている。

 

私はあんまり交遊関係も広くないし、どちらかというと身軽な人間関係を作りがちだし、実家にしろ夫にしろ家族と贈り物をし合う習慣もない。それでも時折、何かしらをいただく。

その度に試行錯誤して、強引にでも生活に馴染ませていくんだろう。

 

ストウブは贈りものとしての性質も含め、馴染みが本当に難産だったなあ。それでもなんとか馴染んだし、きっとこれからも大丈夫だ。多分。

 

 

 

わたしの福祉、わたしのしあわせ

目標を手放してばかりの人生だ。

 

愛されたかった私の目標は、いつだって誰かのためのものだった。清く正しく美しく、非がない人間であれば愛されると信じていたから。

 

物心ついたときからわたしの目標は「真っ白な人間になる」ことだった。

今だから分かるけれど、私は他の誰も信じていなかったんだと思う。親がちゃんとしていない人間であることはなんとなく気付いていたし、その上で自分が求められるものが理不尽すぎることも認識していた。真っ白な人間になりたいと思い続けていたのは、ただ漠然と「だれよりも清く正しく美しくあれば、誰の目にも非がなければ、誰にも責められない」と思っていたからだった。母の基準もあてにならない、転勤族で地域に信頼できる人もいないし親族の縁も薄い私には、誰の目にも非のない自分を目指すことしかなかったんだと思う。

ずうっと「真っ白」を目指して生活していたけれど、私は当たり前だけど人間だった。真っ白になんてなれず、母にも到底愛されず、よく分からない基準で卑下され続けた私は疲弊し、その目標ごと16歳の時にいのちと一緒に投げ捨てた。それでもいのちだけはどこかに引っ掛かってしまったみたいで、病院のベッドで、「こんなに家族を苦しませて楽しいか」と詰られながら絶望した。

命を投げ捨てるような人間は真っ白にはなれないと思ったけれど、一度投げ捨てた命をもう一度大事にできるモチベーションもなかったので、「助けてくれた人のために生きる」を目標にした。病院にいる福祉関係の方、病院の看護師さん、学校の友達。ぼろぼろになった自分に価値なんて見いだせなかったけれど、「生きてほしい」と言われることが多かったので、ただそれを依り代にして生きていた。

そのうちに「家族とは離れて生活するべきだ」といろんな人から言われるようになって、家族と離れて生活するようになった。家族以外の人との新しい生活に慣れると、生きることそれ自体を目標にしなくてよくなった。二十歳を過ぎて初めて、「自分はどうい生きたいのか」を考えるようになった。

「真っ白」を目指すということは、自分の個性や、思想や、趣味や生活のすべてを犠牲にして誰かに尽くすことだった。自分を殺すための努力を十数年続けてきたようなものだ。私はもともと個が強いタイプで頑固でもあるので、端から見たら「個性の強い子」だったとは思うけれど、「どう生きたいのか」を自問しても何も見当たらないくらいにはぼろぼろになっていた。

ぼろぼろになった心でそれでもなにか見つけたくて、「誰かを救える人間になる」と、今まで苦しんできた人生を供養するように、また新しい目標を立てた。

 

「日常的に傷ついてきた人間は、日常でしか救われない」と思ったから、福祉職員を目指した。

福祉を学んでそれを仕事にすると、「福祉とはどういう意味でしょうか」という問いにしばしばぶつかる。大学では「福祉とは『しあわせ』ということ」と繰り返し覚えてきた。welfare、well-being。より良い利益、より良い生活。それが『しあわせ』であり福祉なのだと。学んだ『しあわせ』は自分の思う救いに近い気がしたし、私は福祉職として一人前になることイコール「誰かを救える人間になる」ことだと信じていた。

実際に職について無我夢中な時期を越えると、「福祉ってなんだろう」という問いが改めて頭をもたげるようになった。エゴと何が違うんだろうと思った。どんなに真面目に働いても、勉強しても、認められても、ずっと心許なかった。『しあわせ』を自分に問い続けて働いて、思ったのは「福祉のいう『しあわせ』は『現状からの変化』なんだ」ということだった。それ以上でもそれ以下でもないな、と思った。個人単位でできることは、自己研鑽をもってして、誰かにとってのいい変化になれるよう信じたり期待をしたりすることだと思った。

さらに長く働くと、自分の知識や努力すら心許なくなってきた。『しあわせ』のためには、クライアントが色々な人間に出会い、色々な支援を受けられることの方が重要な気がした。じゃあ知識や技術は何のためにあるんだと思ったら、それを含めてクライアントが出会う「ひとりの人間」になるからだと思った。それって人間性で仕事するみたいなものじゃない?と思ったら、もう無理だと思ってしまった。致命的だと思った。自分のために積み重ねてきたものがないから、自分の人間性微塵も自信が持てない。仕事量や知識が「自分の人間性」に統合される感覚がない。仕事をしながら色々模索してみたけど苦しいだけで、自信が地に落ちた状態でやる仕事は地獄だった。そのうち「自分のために決断することから始めないとダメかもしれない」と気付いて辞職を検討し始めたけれど、踏ん切りがつかなくてもがいていたら力尽きた。

 

 

仕事を辞めたら、「誰かのため」に動くことがめっきり減って、改めて自分の意欲の根源は「誰かのため」なんだなあと実感した。

意欲が全くなくなって、夫におんぶにだっこ、わがまま言い放題の時期を過ごして、1ヶ月ほど経ったら「自分のために動こうかなあ」と思えるようになった。

今までとは全然違う基準でやりたいことを探して、そのために動いてみることになった。夫も協力してくれている(めちゃくちゃありがとう)。

(ちなみにだけど、「誰かのため」的なモチベーションは夫には発動しない。夫はわたしの人生の中で初めて「誰か」に当てはまらない、ごくごくプライベートな関係なので。)

 

そして「誰かを救える人間になる」という目標をまた捨てた。今の目標は「善良な市民になる」こと。

誰かが困っていたら声をかけるとか、ゴミはなるべく出さないし分別するとか、今だったら感染対策に留意するとか、自分のやりたいと思える範囲で善良であることを守っていこうと思う。ちなみにこの場合の「善良」は、完全に自分のイメージによるものなので、悪しからず。

 

何かを手放したら新しいものが入ってくる。そうして新しい自分に少しずつ変わっていく。それはごくごく個人的な「福祉」であって欲しいなと今は思っている。

 

 

 

ヴィーナス

 

年初め、夫が帰省して私物をたくさん持ち帰ってきた。

夫は半同棲→同棲→結婚という流れでタイミングを逃したことと呑気な性格とが相まって、実家に生活を半端に置き忘れたままずるずるきてしまった。今冬、お義姉さんの離婚に伴ってお義姉さん、甥、姪が夫の部屋に住まうことになったらしく、流石にこれじゃあいかんと重い腰を上げることになったのだった。

 

持ってきた荷物で4畳ほどのスペースが埋まってしまった。ひたすら整理、処分している中で、元カノからの誕生日プレゼントのアルバムを見つけた。

夫に「一緒に見ようよ」とふざけてけしかけて見たのはいいけれど、私が通ってこなかった世界がそこに詰まっていて、のちにひとりでじわじわと傷ついた。

夫から聞く彼女の人物像は、未熟で、真っ直ぐで、まわりから許されていて、そこに対する自覚がなくて、だからこそやりたいことにも欲しいものにも躊躇なく踏み込んでいけるような人。それがアルバムにも色濃く出ていた。私はとっても意地悪な気持ちで、「ハッピーな人間だな」と思った。私が選べなかった人生、持ち得ない感覚。芽生えてしまった劣等感がふつふつと煮込まれてどろどろになった段階で、夫に「元カノのこと、本当に浅はかな人間だと思う」というような話をしたら「嫌な気持ちになるなら見なきゃいいのに」と言われた。そりゃそうだ、と素直に思ったけれど、どろどろとした気持ちはしばらく抜けなかった。

 

選べなかった生活、選ばなかった生活に対するどろどろした気持ちってどうにもやるせない。

選べなかった生活に対して「今からでも選べるんだよ」とハッピーな持論を投げかけてくる人もいるけれど、私はそうは思わない。

子ども時代サンタさんを信じていた人間は多いと思うけれど、サンタさんを信じている状態でプレゼントをもらえる時期って本当にものすごく短かったと思う。サンタさんからのプレゼントって、無知が加わってプレシャスなものになるんだと思う。それと同じで不可逆な変化によって手に入らないものって、大人になればなるほどたくさんある。そしてふと襲ってくる未練って、そういう類のものに対する未練だったりする。

特に自分の過失や未熟さじゃなくて、不運であったり誰かの悪意や未熟さによって選べなくなってしまったものは、遺恨が強く残ってしまっていて、ふとした時にそれを強く感じる。遺恨が残っていることは自覚しつつ、穏やかに自分の中で処理できたらいいなあとは思うけれど、私はそんなに器用な人間じゃないので、元カノに八つ当たりしてしまって自己嫌悪してしまった。

 

でも、アルバムの中にあった夫の入浴中の写真(絶妙に大事なところは隠れていたが、全裸の写真だった)は流石にいただけないと思うし、昔付き合っていた人との思い出の品は特段思い入れが強くなければ処分するべきだなと思った。「ヴィーナス…♡」というコメントを数日間夫へのいじりに使ってしまってごめんなさい。でもいじらせてもらって大分気持ちが晴れたよ。元カノ、よくしらんけど、どこかまったく知らないところで幸せになっててくれ。